電車男・考

いつも使っている駅構内に貼ってあったナタリー・ポートマンのポスターがお気に入りだったのですが、気がついたら『電車男』のそれに変わっていました。ショック!

っていうか、あの山田くんは非道い。あそこまで典型的なヲタの記号化は今どきないですよ。本物の電車男もあそこまでではなかったんじゃないかと思いますが。

しかしそれよりもどうかと思うのが、マンガやら映画やら舞台やら何でも良いのだけど、各メディアミックスにおけるこの素材への解釈のレベルの低さ。どれもみんな「不器用だけど純粋な青年がはじめての恋を成功させるコミカルなラブストーリー」と、安直に終わらせていること。言うまでもなく『電車男』の本当の面白さは、2chのスレ住人達という極めて閉鎖的な社会での幻想共有が、善意とおかしみを50%50%なバランスで含んだままに次々と拡大していく臨場感にこそあるんだと僕は思います。電車男の存在が本当か嘘かなんていうことではなく、ヴァーチャルなネットワークでのコミュニケーションから生まれた、一つの共通意識の一人歩き(=スマート・モブズorサイバー・カスケード)の、おかしみと自分も参加したくなる魅力に、だれもがワクワクしたからあんなにヒットしたんであって、それをただの流行の“純愛”フォーマットに落とし込んだ安直さと、オタクへの差別感がにじみ出る前述のメディアミックスは、とかくイラ立つわけです。

電車男が電車オタクだったら電車オタク電車男ですな。