夏の終わり(直太朗)

 8月も終わりです。オリンピックの終わりとともに夏休みも終わりだぜ、という中高生諸君、あさってからまた頑張って勉学に勤しみたまへ。そして、せめて午前中くらいは街を静かにしてくれたまへ。たまへタマヘ。

 急に気温も下がっちゃって、夏休みどころか夏そのものがもう終わりな感じですよね。8月という月の終わりがこんなにシンボリックになるとは思いもよらず、もう少し余韻てーものを残してくれよ、夏。という気分です。

 秋の赤い風景や、年末の暮れの慌ただしさよりも、一年でもっともさみしい季節だと思うのはやはり、夏。それも8月。9月になってももちろん暑い日は続きますが、子供のころから「夏休み」の感覚が強烈に植えつけられているせいで、9月になってしまったら、すべてがおじゃんになってしまうような、夢から覚めてしまうような感覚があります。そんなことは毎年解っているのに、毎年予感したとおりに8月31日のよるは、痛烈なさみしさに苛まれますねー。

 というか、7月8月に無性にはしゃいで遊んでしまうのも、「この楽しさもいつか終わってしまう」みたいな、無常観を前提に騒いでいるのかも。僕なんか8 月の10日くらいにはもう、チクチクと夏の終わりが迫っていることを憂いているほど。夏が好きな人って、みんなそうなんじゃないかなぁ。

 桜の花が、やがて散ってしまうとわかっているから美しく感じるように、人がそのうち死んでしまうとわかっているから、強く生きるように。なんつってね。あれだ、レ・ミゼラブルっつーやつやね。