ストライ「キ」・バッター・アウト

■日本人の国民性としてあるものだけれど、僕たちはどうも成長する方法として「悪いところを直す」というやりかたをとりがちだ。古くは農耕を主とした民族として、近代では優れた工業製品を作る国として、たくさんの人たちと協力して一つのものを作り上げることにおいて、そういった考え方も植えつけていったのだろう。共同作業をする上で、効率良く結果をだすのは、一人一人が自分の仕事をキチッとやるのが一番良いからだ。

 だから、元来、ほめられて伸びる、ということに慣れていないのかもしれない。ちょっとした個性的なものがでると、それを欠点と思ってしまいがちなのだ。学校や企業に入るための試験として「面接」というものがあるけど、あれもじつはちゃんとした「模範解答」が用意されていたりする。ツライわけだよー、あらかじめ自分自身が否定された戦いだから。

 そういう環境でずっと育ったわけだから、僕らは自分だけの答えを見つけることが苦手だ。自分とすべてまったく同意見なんて人を見つけるのは、これはけっこう難しい作業で、反対とか、条件つき賛成とか、別に興味ないとかいう人もたくさんいる。Life Like Styleのやることがすべて気に入らないという人もいれば、賛同してくれる人もいる。絶対的に正しいだろうという答えを一晩中考えた末にみつけても、それをすべてひっくり返されるような考えに、あっさりと明日、出会うかもしれない。
 
 だから、自分が正しい証拠として頼るのが「数」だ。大多数の人と同じ意見に自分も賛成すれば、とりあえずは安心するし、反対勢力にもなにかと都合がいい。でも、周りが自分と同じ考え方の人ばかりでいるということの方が、よっぽど妄想的で異常な世界なはずなんである。最低限の社会的マナーの上に、色々な人がいるのが当たり前なんだ。当たり前だけどなかなか理解しがたいけどね。何百万枚売れたCDとか、視聴率が30%のドラマとか、大騒ぎになったりするけど、それをまったく聴いたり観たりしたことのない人の方が、圧倒的に多いんだ。(凄くハイカラなおじいちゃんとかたまにテレビで見るけど、あれはあれで素敵だよね)
 
 もちろん、たくさんの人に賛成することが、付和雷同で自分がない奴だなんていうつもりは毛頭無いよ。マニアックなものを選ぶ奴が冒険的でカッコイイとも思わない。自分がそう思った方が正しいのだから。

 何をダラダラ書いておるのだと言われそうですが、要はプロ野球再編の話なんです。いよいよストライキ強行の話題になってますが、新聞もメディアも今やほとんどが選手会側の立場をとっている。ただこれも渡辺オーナーというわかりやすい憎まれ役がいるからだけじゃないのかなって思ってしまうわけですよ、全然詳しくない者としては。提案をことごとくはねのけたオーナー達の強権性も単純に凄いと思うけどね。ただ、ストライキとかする前に、例えば2億円の年収貰っている選手が「来年は1億円でいいです」なんて名乗りを挙げた人も別に見なかったですよね。僕なんかは堀江社長に売ってしまうのが一番てっとり早いと思ってしまうんですが、みんながみんな「プロ野球をもっと活気あるものにしたい」という願い(という名目)は同じはずなのに、ストとか、そんな意地の張り合いをしていてはファンの気分は下がる一方だともうし、この話し合いがなんとか妥結したところで、そのさきのプロ野球の人気がさらに下がってしまっては結局何の意味もない。

 もっともケンカだけしていてもいけないよっていう子供の教育にでもなったのだろうか? とにかく、早くこのゴタゴタが終わってほしい。スポーツが競技とまったく関係ないところで醜く写されてしまうのは、どうも、タマランですよ。くだらないことダラダラ書きました。