教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

今年ももうすぐ終わりですね。今こうして日記を書いていて思い出したのですが、自分が初めてインターネットというものを体験したのが高校1年生のときで、ちょうどそれから10年が経ちました。
かつては自分の知りたい情報が自由かつスピーディーに手に入るという魅力に、なんだか罪悪感のようなものさえ感じていたりもして、奇怪なダイヤルアップ接続のぴーひょろろという音と共にわくわくと心が躍ったのを覚えています。
今ではその数倍の速度の回線と共に、それがまったく普通の日常になってしまっていますが、一方で当時のような興奮とか喜びなどは忘れてしまったなぁなんて、
こんな実に無味乾燥した世界のようなものにも、ある種の感慨深いものを感じてしまうのも歳のせいでしょうか。ははは。


APIの組み合わせによるマッシュアップ、ファイルの共有やそれをタグによって分類するフォークソノミー、スクリプトの進化によるリッチインターフェイス、スマートモブズの集合知であるウィキ、そしてブログにSNSなどなど。。。
web 2.0という概念が騒がれ出した昨今、ついこの前までは信じられないようなことが次々と出来るようになりましたが、大事なことはそれをどのように活用するか、ということであって、便利になる一方でバカなことをする奴らも加速度的に増えています。そういう意味では「何が出来るか」よりも「何に注意するか」「何をするべきでないか」とかっていうことの教育が格段に足りないのではないかという気がしますね。
なんでこんなこと思ったかというと、最近、中学生向けの本を読んだんですが、そこには「チャットではむやみに住所を教えない」とか衝撃的に子供向けな記述があって、うへーっと脱力してしまったわけです。


そんなことの反動もあって読んだ本ですがとっても勉強になりました。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書