論座 2007年 05月号 [雑誌]

論座』5月号のラジオ特集、charlieこと鈴木謙介の寄稿「情報時代のガイダンス〜島宇宙からの脱出と『文化系トークラジオ Life』の挑戦〜」を読む。
今年に入ってから朝日新聞が「ロストジェネレーション」というテーマを掲げて、今の若者の不安を煽ったり、都合よく切り取られ「時代の被害者」にされること、そしてそれをネタに、時代に向かって共闘しようというアジテーションで論者の政治的派閥に取り込もうとする姿勢に強く違和感を表明するくだりをリードに、その「ロストジェネレーション」という定義づけのプロセスにおいて生まれた、未来を設計し社会に挑戦することを強く要求するような論調とは別のやりかたで、無数に広がっているようでいて閉鎖的な情報の島宇宙の中から、自分の道筋を取捨択一するためのガイドとしての『Life』の動機と意義を語っている。
情報の島宇宙からの脱出という意味では、charlieはそもそもは社会学者でありながら、番組でも再三語り続けているとおり番組のパーソナリティーであるときはその面をあえて出さないスタンスを貫く。社会学の領域の中で、論壇の中で、社会の問題についての答えを出すということは、若者にとってはまさに島宇宙の中での話でしかすぎないからで、『Life』は確かに、結論を急ぐよりは出演者やリスナーからの様々な意見を、また様々な人が様々に解釈して話がめまぐるしく二転三転していくようすが魅力になっている。そこには確かに政治的思想に根付いた説教臭さもないし、グーグルで調べたところで絶対に手に入らないであろう、アーカイヴとは別の種の情報に満ちている。話の内容が僕には難しすぎてついていけない時も数多くあるが、それもまた魅力といえる。

「分かってもらうこと」を至上命題とする昨今のマスメディアの風潮からすれば、完全に逆行しているとすら言えるかもしれない。だが、むしろ私が考えているのは、その内容もさることながら、ひとつのテーマに対して、膨大な知のストックを持った出演者たちが見せる「芸」の熱気こそ、伝えられるべきものであるということだ。

例えばこんな朝日新聞社発行の雑誌に同新聞記事内容を「不愉快である」と切りつけるこの原稿が掲載されるのはいいんだろうか? とか、そんなことも解らないほどに政治・思想、社会に疎く、『Life』のロストジェネレーションがテーマの回は、やはりさっぱり意味がわからなかった僕でも、この意味はなんとなく解る気がする。親しみやすく知識の豊富な人たちが色んな話をしていること、それ自体が正直言って内容よりも、面白いマクロ視点のコンテンツだと思うわけである。

野球中継が入る今月からは日曜深夜で月イチ放送。出来れば生で聞きたいけど、仕事に影響が出ないか、今はそれが心配。

論座 2007年 05月号 [雑誌]

論座 2007年 05月号 [雑誌]