父親のことと、大阪旅行記-1

さて連休で大阪に行ってきたわけであるが、その目的とは何をかくそう父に会う為であった。今更ながらに説明しておくと、うちの父親というのは大変な遊び人で、自分の見栄と道楽の為に家庭を全く顧みない人間であり、今回会ったのも実際の時間は5年ぶりではあったが、その前すらも子供の時から1年に2,3回会う程度だった。会ったところでどう話していいのか解らないヤクザみたいな強面の男、それがうちの父親である。
そんな男を相手に母は辛抱強く私を育ててくれた。礼儀を教え、料理を教え、本を読み考えることを教え、お金の大切さを教えてくれた。しかし父は何もしなかった。親が釣りやキャンプに遊びに連れて行くなんてことはどこか別世界の話であり、キャッチボールすらしてもらったこともないし、何かを買ってもらったという記憶は、たぶんスーパーファミコン本体が最初で最後だ。
小学生の段階で、この父親はもうだめだと思っていたし、その父親そっくりの性格であった祖母もまただめな人間であって、その血が自分にも流れていると考えただけでゾッとしたものだった。後付でもなんでもなく、母の熱心な子育てと父が与えた劣悪な環境によって、こんなことを中学に上がる前に考えていた。悪くもなくしかし早熟な子供だったと我ながら思う。そんな感じで自分の境遇を呪うでもなく恨むでもなく、あとはまあ子供の時はそれほど他所様の経済環境など気にもしないものなので、俺は俺で生きていこうぐらいにしか思っていなかったし、不幸に感じることもなかった。GDPが低く医療が発達していないが、それを「知らない」ゆえに国民幸福度が高いブータン王国に似ている。
金のかからない公立高校へ進学し、高校一年の5月からアルバイトを始めた。バイトが忙しいために学校も休むことが多かったが、前日に猛勉強に当日の完璧なカンニングを組み合わせるという荒業で成績は常にトップクラスだったために、問題なく卒業した。
そんな高校生だったので「仕事」というものに早くから自分の考えを持っていたし、家庭はいつどうなるか解らないということもあり、手に職をつけるためにその後専門学校へ進学させてもらった。そのぐらいの蓄えは親にもあったみたいだが、彼らは専門学校は反対し大学進学を強く押した。ただ当時の俺にはすでにそれが幼稚な考えにしか聞こえなかったし、仮に大学にもし進学していたとしてもその後卒業までは絶対に、あらゆる意味で続けられなかったはずだ。
専門学校2年後半にもなると普通のバイトと平行してライターとしての仕事ももらえるようになった。って言っても月に1本とかだが、そういうことをやりながら漠然と家をでて一人暮らしを始めようと思っていた。このころにはもう父親とは丸1年会わなかったりすることもあったが、そういうことも意識すらしなかった。幸い、専門学校にも地元にも友達はいて、自分なりに楽しくやっていた。また、近所には親友が住んでおり、そこのご一家にはしょっちゅうご飯を食べさせてもらったり、どこかへ連れて行ってもらったりして大変にお世話になった。一緒に酒を飲んだり、仕事の話を相談したり、女の人のことを話したり、という今にして思えば男親に求めることをそこのおじさんが引き受けてくれていたと思う。今でもたまにお会いするが全く頭があがらないの一言である。
一方、実の父親であるが、俺が21だかそのくらいのころ、とうとう家庭を崩壊へ導いた。度重なる女遊びと負債を抱えたせいで、母が病に倒れ、後に離婚した。その後父は行方不明になり、母と兄はマンションを購入して出て行った。そして私は空き家になった団地に残ることを選び、布団とラジオと灯油ストーブだけがある空き家で、月〜金は編集プロダクションで、週末の深夜はマンガ喫茶でバイトという生活を開始し、ライター業やそのほか音楽系の仕事も少しずつやったり、Life Like Styleというイベントサークルの開催など自分なりの活動で達成感を満たしながら、10ヶ月で100万円貯金して今の部屋に引っ越してきた。
やがて普通に就職もし、なんとか安定する生活ができてきたが(それでも立派に貧乏だけど)、常に父親のことが頭の中にはあった。精神的にも経済的にも全く縁がない行方不明になった男と、「法律」という圧倒的な力でのみ親子という関係をつながれ続けるという気持ちはなかなかに耐え難いものである。すでに「他人」となった母にはもちろん相談するわけにもいかず、大げさに言えば、どんなに理不尽な理由であろうと、捻じ曲げられた自分の人生は自分で決着をつけなければならない。何を話したらいいのか、何を確かめればいいのかも解らないまま、父親が住んでいる田舎に電話をかけて連絡を取ることにした。
つづく。


追記:「そんなこと言っても自分を生んでくれたお父さんなんだし」といった類のことを言ってくださる方もこれまで沢山いらした。ただ、自分はすでに20年にわたりその葛藤を繰り返していて、すでに正の感情も負の感情もなくなってしまっている。読む方によっては親子関係という考え方の齟齬により(普通そうだと思うけど)、不快に感じる方もいるかも知れない。
また、世の中には、私などよりもっともっともっと深刻な環境にいる方がいることも理解しているつもりだし、そういう方への配慮が足りない文章であることも了解している。
今回の記事は不幸自慢をしたいわけではなく、月並みな言い方をすればただただ自分の気持ちの整理をしたいために、過剰に膨らんだ自意識を栽培するために、書いているのであり、もし読んで気分を害される方が居たとしても、申し訳なく思うと同時に、掲載しつづけることをご容赦いただきたく思います。