のはなし

芸術にしろスポーツにしろ、エンタテインメントというものは喜や楽だけでなく、その反対語とされる哀も怒も提供すべきだと思っている。というか何かしらの娯楽を体感することにおいては、提供されるものに怒りを覚える自分を自覚することが喜ばしかったり、哀しいと共感することが楽しかったりするわけで、感じ方の表し方なんて紙一重なものだろう。好きだから嫌いになるわけで、嫌いでいることが好きなわけだ。全部ひっくるめて感動とまとめられるし、それらの真の反対語は無関心である。
何が言いたいかというと一連の亀田親子の騒動は、
試合後にカラオケを歌う興毅の選曲のセンスから、やくみつるとのケンカ、金平会長のビジュアルのインパクトに至るまで、エンタテインメントとしてあまりに完璧だったということだ。

そんで例の記者会見。ここ半年で合計5時間ほどしか見ていないってぐらいにテレビからかけ離れた人間が久しぶりに見た番組がそれだ。我ながらこんなくだらないことの為にアクオスを置いているのかと思うと少々の眩暈はしたものの、でもやっぱり面白かった。

「反省してるみたいだし、ふん。まあ、いいか。若いんだし。」

なんて子供が怒られてるのを観てフラストレーションを発散させるようなカタルシス。いじめっ子が学級会で問い詰められているのを黙っていやらしく笑っている時点で、自分もまたいじめっ子になってるんだろうな。


今日はなんだかイライラした。
イライラして機嫌が悪いと不思議なことに仕事がはかどる。だからまあよくわかんないけどプラマイゼロということにしよう。
負の感情もオモテに出さずに、冷静に楽しめたらいいなと思う。

帰り際に上司に「どしたの、何かムカつくの?」って思いっきり見破られたけど。

のはなし

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